応永の始め、鴫野村の住民某がある夜夢を見た。その夢枕に一人の老翁が現れ、「吾はこれ熱田の神なり。跡をこの地に垂れんと欲す。明日汝等出でて吾を淀川の河辺に迎うべし」 と告げたので、翌日村人十数人を呼んでことの次第を語ったところ、自分も同じ夢を見たと云う者が、十人余に及んだ。
そこで一同は各々衣服を改めて河辺に出迎えると、果たして一ぴきの小蛇が河中に現れ、まっすぐこちらに向って来て、 やがて岸に上がった。その様の悠々泰然たるを見て、村人は畏敬に打たれ、一同相従って行くと、小蛇は川を越え堤を経て鴫野村に入った。
そして、小蛇が留まった所を見て、村人たちはそこに小さな祠を建ててこれを祀った。時に応永3年(1396年)9月22日のことである。(なお、別伝で蛇ではなく、白鳥の伝えもある)
以来、室町、戦国、江戸、明治を経て、大正4年天王田村の氏神八坂神社と永田村の氏神水神社を合わせ祀って、今日に至る。